浮世絵で見る江戸・築地

振袖火事と西本願寺〜その3

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:新橋なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

なぜ本願寺はインド風?

話は築地本願寺に戻るけど、ここに貴重な写真(左)がある。関東大震災での火災で焼け落ちる前の築地本願寺だ。

うわ〜、めちゃくちゃレトロ。特に子供の服装なんか、懐かしい感じ…。

立派な大伽藍だったことがこれでわかるよね。でもって、これ(下)が、焼けてしまった後の無惨な姿だ。

灯籠以外何も残ってないのね。でも、写真があるぐらいだから、当時としてはやっぱり大変なニュースだったのね。

それで再建ということになって、昭和9年(1934)に今のインド風の築地本願寺ができるわけ。

でも、どうしてインド風なの?写真のようなお寺をもう一回造っても良かったんじゃない?

まぁ、それはね、その時の住職というか浄土真宗本願寺派のトップがただものではなかったからなんだ。大谷光瑞(こうずい)と言ってね、有名な大谷探検隊の隊長でもあった人なんだ。

え〜、探検隊?お坊さんなのに?



この人は皇族と結婚して伯爵でもあったし、ロンドンにも留学している国際派だ。探検は12年間で3回、テーマは古代仏教だったようだね。最初の探検は明治36年(1903)に自らを含む5名でインドなど中央アジアの秘境に向かった。そこで長らく謎とされていた霊鷲山を発見したり、マガダ国の首都王舎城を特定したりと、なかなかの功績を残している。で、その途上でメンバーが偶然建築家の伊東忠太と知己を得るんだ。

何だか孫悟空の「西遊記」みたいね。あの中では4人だったけど。


ガハハ。確かにこの探検は「西遊記」ならぬ「新西域記」という本にまとめられているからね。まぁ、そういう人だから新しい本願寺をインド風にするという構想もわかるような気がするだろ。加えて帰国後に盟友となる伊東忠太は平安神宮や明治神宮、靖国神社、湯島聖堂なんかを手がけた宗教建築のパイオニアだ。しかも36歳のときに中国・インド・ペルシア・トルコを驢馬にまたがって、延々3年をかけてユーラシアを踏破したという探検家顔負けの人物なんだ。
↑大谷光瑞(右)と伊東忠太

なるほどね。実際に現地に行った人たちだし、お互いの考え方もぴったり合ったということかぁ。

この2人の感性があったからこそ実現したということだな。伊東忠太に惚れ込んだ大谷光瑞は、中国の大連に建築予定だった「西本願寺大連別院」など5件の設計を依頼するんだけど、実現したのはこの築地本願寺だけ。しかも依頼してから完成まで35年の歳月を要した。

↑竣工当時の築地本願寺

気の長い話ねぇ。でも、最初からこんな感じのデザインだったの?


もっとエキゾチックで凝りに凝った設計だったようだね。実物もかなり凝ってるけどね。築地本願寺って外観は誰でも知ってるけど、中に入った人はあまりいないだろ。この人は画家としても一流だし、建具や家具までデザインするからね。内部にはいろんな動物のオブジェがあったりして、無茶苦茶面白いよ。

アハハ。意外にカワイイのね。行ってみたくなっちゃった。


外観のもとになっているイメージはインドネシアのボロブドゥール遺跡(写真下)だと言われている。大乗仏教の宇宙観とされている「宇宙三界」を形にしたっていうんだけど、わかるようなわからないような…。

そうね。凄く神秘的なデザインっていう意味では共通してるわね。


築地本願寺がユニークな点はもうひとつ、鉄筋コンクリート造りだということ。かつて伊東忠太は、神社は「神の住む家」だから木造以外考えられないと言っていたんだけど、なぜか神田明神だけは焼失しないようにとコンクリートを使っている。まぁ、なかなか奥の深い人だから興味があったら調べてみるのも面白いんじゃないかな。

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